西暦1685年江戸時代の日本に生まれ石門心学(せきもんしんがく)と呼ばれる学問を開いた人物。(石田派の心の学の意味)江戸時代全体を通じてもっとも代表的な思想家とも言われます。心学塾は明治時代前半まで全国に存在しました。「勤勉と倹約」という町人哲学を生み出し、現代の日本人にも強い影響を残す人物です。農家の次男として、京都府亀岡市に生まれ11歳より商家に奉公に出て、43歳の頃には商家の番頭にまで出世していました。45歳の梅岩はある日「われ辻立ちしてもこの道を説かん」と街頭演説を始めました。その日は大根を片手に持った農夫がただ1人話を聞いているだけだったと言います。
石門心学 (せきもんしんがく)
商家で働きながら独学して塾を開いた梅岩に対して、世間は批判をあびせました。そうした批判に対して梅岩は「学問とは文字を知る事ではなくて、心を知る事である、世間の学者は「文字の芸者」であって、いにしえの賢人の心を知らない」と応じたそうです。世間の学者は長い間勉強して多くの文字を知っていても、書物の心を悟らないので、親には不孝で他人との交際は悪く、不義のことが多いのです。それにもかかわらず、文字さえ読めれば徳があると思って、世間では混同しています。間違ってはいけません、と梅岩は語ります。(都鄙問答)
我が教ゆる所は、商人に商人の道あることを教ゆるなり
利益を貪るという理由で、商人は江戸時代・士農工商の四つの身分の中で、最下位の身分とされたのですが、その職業に社会的意義を見出したのは画期的であり、梅岩ならではの哲学なのです。
学者 : 商人は欲深く、いつも貪ることを仕事としているように思えます。その商人に無欲を教えるのは、猫にカツオの番をさせているのと同じことでしょう。商人に学問をすすめるのはつじつまの合わないことです。
梅岩 : 道を知らない商人は、ただ貪ろうとして家を滅ぼします。商人の道を知れば、欲をはなれ仁をこころがけて努力するから、正しい道にかない、栄えることができます。それが学問の功徳です。
「学者は長い間勉強しても、親には不孝で他人との交際は悪く、不義のことが多い」とは耳の痛い話ですね。
私は石田梅岩の思想にふれたとき、日本人があたりまえに考えている美徳・価値観・倫理観なども、まず独創的に唱えた人がいて、それを素晴らしいものだとして、大切に受け継いできた無数の人々のいとなみによって、現代にまで受け継がれているのだなと思いました。
参考文献 : 日本の名著18 富永中基 石田梅岩 昭和47年 中央公論社