クリエイター活動と「らーめん西遊記」

クリエイター活動と「らーめん再遊記」

漫画、ラーメン再遊記
らーめん再遊記 13巻 より

SNSを見ていると、まれに、とても自分自身ににささるコンテンツを発見します。「漫画・らーめん再遊記」ある漫画家の方が、今の成功している自分があるのは、この漫画のおかげだとポストしているのを見て、さっそく自分もTUTAYAで13巻を購入しました。(最新刊1冊だけがありました)

昔からクリエイターの悩みを題材とした作品は多く「小説・山月記(さんげつき)・中島敦(1909~1942年)」は、その代表的な作品としておすすめします。山月記の主人公は才能はあるけれどもとげとげしい性格で、他人との関わりを嫌い、クリエイティブな悩みに悩み続け、ついには虎になり果ててしまうというお話しです。

山月記
新潮文庫 李陵・山月記 より

己(おのれ・私)は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍(ご)することも潔しとしなかった。(山月記より)

クリエイター活動において「目標を持つ事」の大切さはよく説かれますが、山月記では師匠に教えを乞う事をせず、またプライドが高く自分は特別な才能の持ち主であるという自負から、他人と積極的に関わる事をしなかった、そしてやがては虎へと身を落としてしまうのです。

一方の「らーめん再遊記」では「才能とは生モノであって、賞味期限付きの幸運にすぎない、才能は思慮深く扱ってやらないと歳月とともに腐り、朽ち果ててしまう」と書かれています。

漫画、ラーメン再遊記より
らーめん再遊記 11巻 より

「才能が腐る」なんとも恐ろしい言葉です。

企業の中でクリエイティブな仕事に従事したり、仲間と共に活動をしている場合は幸せですが、クリエイター活動は基本的に孤独な活動ですから、自分で自分を開拓していく事が必要です。だからクリエイターの現実に気づかせてくれる「らーめん再遊記」という作品がとても私自身に刺さったわけなのでした。

「らーめん再遊記」の中では、化学調味料を絶対に使わないこだわりの職人と、化学調味料を使ってビジネスを成功させたビジネスマンとの対比も描かれます。こうした劇中の対比は、私自身に課題を突き付けられているような気がして、とても面白く読めるのです。

日本の美術教育の中では「作品にはオリジナリティが大切」という事が強調されるように思いますし、私自身もそういう環境の中で育ちました。しかしオリジナルであればなんでも良いというわけではなく、そのオリジナリティを「観客」が楽しんで受け取ってくれていてこそ、オリジナリティが生きている、という事になると思います。「らーめん再遊記」に話をおきかえてみると、「顧客」は化学調味料の味を喜んで食べている、化学調味料を使わないという職人としてのこだわりでは「顧客」を満足させる事ができていない、自己満足でしかないのだ、という話になります。

イラストレーションという表現も最終的には「観客」を感動させるという事を最終目標としています。作品には作者自身がこだわる事はもちろん必要なのですが「観客」が何を楽しんでいるかを理解して、かつ自分と観客のズレを意識する事が「観客」を楽しませる事に必要なスキルだと思います。

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